②Happy! (2018年 Netflix)

ニックとハッピーは、ブルーのようなスラム街を体現する悪徳との対決をしなければならない。一人では立ち向かえないそれに、二人で立ち向かうための試練を超えていくのが5話と6話のラストシーンだ。その場面を見ると、よごれている心でも清らかに燃えあがれるような気がしてくるのだ。

あるいはこの物語はバディものというよりは寄生ものなのかもしれない。古くはバンパイアハンターD寄生獣幽霊や妖怪を身に宿して力を合わせていくさまざまなストーリーを思い出すからだ。
そうするとニックは何かにとりつかれているということになる。
マルドゥック・シリーズでは、ウフコックというしゃべるネズミが退役軍人ボイルドの失われた良心そのものだったように。ボイルドは虚無にとりつかれていたが、ウフコックとはいいコンビだった。ニックはどうか?

『Happy!』 ――これは幸福を求める一角獣にとりつかれた、死にかけた男の物語である。
誰の、何の幸福なのか?と問うならば、それはニック自身の幸福ではないといえる。
彼は他者を破壊することが得意な自分を知悉していて、暴力の中に身をおいている時の方が日常生活よりも生き生きとしている。だから自分のために幸福を築き上げようとは望みもしていない。
彼が追っているその幸福は、誘拐されてしまった子供の本来得るはずだったものなのだ。
子供の幸福を求めることが、自分自身を放棄して血まみれの道で暴れ狂っていた男の責務だったとすれば。
最後のシーンでそれが果たせてよかったのかもしれない。

ぼくはこのドラマのエンディングを見ながら『インターステラーを思い出していた。
ぼくはニックが滑稽で痛々しくて狂っているようにみえると言った。でもその姿は、それほどぼくらの生活と違いはないのかもしれない。そこが外宇宙でもスラム街でも、日本の小さな街の中でも。
それは紛れもなく自分ではない他者のためにーー子どものために奔走する、父親の姿に見えたからだ。