①孤狼の血(2018)

『凶悪』(2013)の白石監督最新作。
監督お気に入りのピエール瀧さんは今回も元気に右翼を演じておられました。瀧さんは『64』といい『アウトレイジ最終章』といい、愛嬌ありまじめさあり怖さありで、さらに人でなしまで演じてしまうすごい人。たまむすびというラジオ番組のパーソナリティーとして好きだったけど、お芝居もうまくてほんとに面白い。
組長役には石橋蓮二がいるので、『凶悪』で瀧さんとコンビを組んで悪逆非道の限りを尽くしたリリー・フランキー翁は1回休み。ちょっと残念。(『万引き家族』では健在らしい)

舞台は広島死闘編(仁義なき戦い)の呉をモチーフにした呉原という街だ。
大上(役所広司)はマル暴のエースとして日夜やくざと対峙する刑事だ。日岡(松坂桃李)は広島大出のエリートで新人として四課に配属された。

 

まず冒頭のヤキの入れ方が半端ではない。目を背けたくなるほどだが、それは目論見があっての過激さだ。

ぼくは映画を見てから小説を読んだけれども、正解だったかもしれない。
小説を読むほどに、映画も愛おしくなる。
大上と日岡がより強く結び付けられる。
大上が日岡に、亡くした息子に重ねて感じていただろう思いや、四課の刑事である自分の後継として見定めていただろう覚悟も小説では触れられている。それだけで読む価値はあった。
小説を読んで『墨塗り』の意味を知ると、なおさら映画でのそのシーンに胸が熱くなる。そこにある差異がこの映画では重要な意味をもつ。
男たちは狼だった、という大きな意味を。

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大上と日岡が過ごした日々は、驚くほど短い。それでも出会いによって生き方が変わることはあるのだろう。
それは最も側にいて、大上を知ろうとしていたのが日岡自身だったからだ。
人は人をどのように知ろうとするか。
知ろうとする人間に自分をどう見せるか、知らせるか。または知らせないのか。

知っている人間はそれをコントロールすることができる。

だが大上は日岡をコントロールするのではなく、支配して縛るのでもなく、相手に自己の思いを託した。託す方法は、自己が犠牲になったときに初めて明かされる。それは自分を捧げる行為である。

大上の辿った軌跡にはディム=ボイルドの軌跡に重なるものがある。

託された思いに、返せないほど大きな恩義がある時にこそ人は心が動く。

 大上が、真相を求める日岡に真実を暴けるかどうか朱筆を入れる。
最後にはその仕事を讃えて託す。
託された方の胸中はいかばかりか。
託された『それ』を見た日岡は捜査の軌道を大きく変えることになる。