③『ベター・コール・ソウル』

ぼくは何度も読み返す小説がいくつかあるが、その中に小野不由美さんの『十二国記』がある。

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そのシリーズの「華胥の夢」という短編集に『乗月』という話がある。王が罪に潔癖すぎて傾いていった国の話だ。国の名は芳国。王の命運は国の浮沈と共にある。その王である仲韃は正義にこだわるあまり罪に厳罰で報いる法を重んじすぎた。その定めは激しさを増していき、微罪にも死罰を与えるようになってついには革命が起こる。王位を簒奪して民を救った能吏は、古くから王の忠臣で、道を踏み外してゆく王の姿を心から憂うほどだった。

その仲韃という王に、チャックはよく似ているとぼくは思った。
チャックは弁護士として『法を守ること』が最も正しい行いだと信じている。そこには容赦がない。それを他者も理解すべきだと思っている。もしも理解出来なくてもいつか正しく理解できると信じている。そのための犠牲をいくら払ったとしても、それが正しいのだと心底信じている。そこが仲韃とよく似ているのだ。
チャックにとっては法が最も正しいのだ。だから、その法を軽んじて利益をとろうとする弟のジミーが弁護士として活躍するなど悪夢のようだっただろう。チャックはジミーの弁護士としての活躍や栄達を徹底的に妨害し、その一方でジミーにはそれを隠し続けてきた。ジミーは、チャックに裏切られたことへの憎しみから発作的に彼を陥れるために罪の一線をこえてしまう。そしてまた、それを知ったチャックは弟の弁護士資格を剥奪しようと企みにかかる。憎苦はぐるぐると巡る。めまいがする。お互いに傷付けあって終わりがなくなる。

ぼくはそんなチャックの辿る軌跡に衝撃をうけた。彼の語る希望はまやかしだ。頑迷な希望を信じ続ける方が楽で、独りよがりになっていくからだ。
それはチャックに限らない。人は自分の怒りと思い込みを正すことが出来なかったらどうなるだろうか。思い込みとすら分かっていない、自分の『正しさ』と誰かの『考え方』がちがう道にあった時に、それを受け入れられるかどうかが、すべてなのだと思う。
彼の病気の悪化はそこから始まってしまった。自分の希望とはちがう存在の弟を、受け入れるような苦しい道の中にしか、彼が生き残れる筋道はなかったのかも知れない。
間違いを認めて、自分を見つめ直す。正しいと思ってしてきたことを、振り返ってみる。今まで積み上げてきた自分の人生が壊れる恐怖とこそ戦うのだ。
チャックはそれをするべきだった。
どうしてもそれが出来なければ、勇気がなくて戦うことが出来なければ。自分の信じ込んだ妄想に捕まって取り殺されてしまうことになる。それはあまりにも無惨で苦しい最期をもたらすことになる。そんなチャックの姿を見て、ぼくは恐ろしくなった。

ぼくはそうはならない。なりたくはない。
チャックは友人を失い、仕事を引退に追い込まれ、唯一残された弟のジミーとも袂を分かつ。孤独の中で無理がたたって限界が訪れた。妄想に囚われてしまうのだ。その場面を思い返すと胸が苦しくなった。彼が苦しげに喘ぎ、じっと座り込んだまま、虚ろな顔で『机を蹴り続ける』音が忘れられない。
ぼくはそんな風になりたくないと、心底思った。誰にもそうなって欲しくはないと思った。

最終話で、ジミーは言う。

『兄貴はおれをクズだと思ってる。それは変えようがない。おれには何も言えないよ』

そうして物語が終わる。声は静かな口調だが悲鳴のような言葉だった。ぼくにはそう聞こえた。

ジミーとチャック達が最後に語り合う、9話のタイトルは「ピメント」。日本語ではピーマン。英語のスラングとしては、「中身の無い話」。丸々1話がそうだ。何度も見返すとわかる。これはあまりにも、的確な、タイトルすぎると誰もが思うだろう。そしてジミーは何度も思い出し、考えるだろう。でもそれは意味がないことだ。苦しみが増えるだけだ。そうでなくなるために、最終話がある。だがそれは救いにはならない。ジミーは自分の意志で、変わるだけだ。

そしてドラマはシーズン2に続くのだ。兄弟の戦いはこの時点ではまだ始まったばかりだが、ぼくのレビューは終わりにする。そしてスピンオフ元の『ブレイキングバッド』も、見てみることにする。